「ごきげんよう」
彼女がふわりと微笑みながら去って行く。
僕はそれに軽くうなずく。
彼女はもうこちらを振り返ることはない。
儀礼的で義務的な逢瀬をすませ、僕も帰路に立つ。
彼女との出会いはもっとずっと前。
それこそ記憶がないぐらい前のこと。
親戚同士で仲が良い彼女の母親と僕の母親が、年まわりがちょうどいいから結婚させましょう、と言ったとか言わなかったとか。
別にとりたてて利点もない両家の婚姻は、それこそ失点もないことから淡々と成就してしまった。
僕の父親はどちらかといえば賛成で、あちらの父親は全く興味がない、と温度差はあったのだけれど。
年を重ねるたびに彼女に会う回数は増えていく、そして僕自身もなんとなく意識せざるを得なくなっていった。
どこか遠くを見ているような、軸足が定まっていないかのような彼女は、強く引き留めておかないとどこかへ行ってしまいそうな危うさを持っている。
そこに儚げな風貌が加わり、彼女はそういう女の子が大好きな連中からはたいそう人気がある。
そしてそれは、もれなく僕にも当てはまってしまった。
政略、といえるほどのものではなく、それでも親が決めた婚約者同士だった、にも関わらず、僕は彼女のことを気に入っている。
「はぁ」
「お兄様、幸せがにげましてよ?」
妹が眉根を寄せて言葉をよこす。
三つ下の妹は、婚約者と同じ年で彼女とはまるで違う元気がありあまった令嬢だ。
そんな彼女も正反対な婚約者とは相性がよく、会えば仲良く談笑しているところを目にすることがある。
「彼女の……、いや、なんでもない」
思わず心の内がまろび出そうになり、慌てて口をつぐむ。
こんな情けなくて恰好悪いこと、例え妹だろうとも、いや妹だからこそ聞かれたくはない。
「さっさと結婚すればよろしいのですよ。本当に何をぐずぐずしていますの?」
突き刺さる妹の言葉に、隠していた出来事などお見通しだったのだと気が付く。
「まあ、ね」
僕と彼女の結婚には何の支障もない。
彼女はきっちりと教育をうけて、こちらの家に見合う教育を受けている。
結婚して家を切り盛りするには十分な資質だってある。
けれどもどういうわけか、彼女との結婚は足踏み状態だ。
それは、彼女の家の面白くない事情によるところが大きい。
たいして興味をもっていない彼女に執着する父親と、どうせなら気に入った方である彼女の妹に嫁いでもらいたいと思いついてしまった母親。
そのどちらもが微妙に足かせとなって結婚が遅れ始めている。
うちの両親は今の婚約者でいい、というのだからごり押しすればなんとかはなる。
けれども、長年の友情が足を引っ張ってこちらとしても強くは言えないでいる。
だらだらと引き延ばせば引き延ばすほど、彼女の周りには彼女のことが好きな男があつまっていく。
そしてますます彼女の両親は、やっぱり妹の方がいいのではないか、と考え込んでいく。
「私、あれをお姉さまとは呼びたくはありません」
痛烈な言葉を、彼女の妹に突きつける。
年下で、わがままで、そういうところが魅力と言えなくもない彼女のことを妹は嫌っている。
苦笑して、その場から脱出をはかる。
このままいけば、いつものようにけんけんと自分の至らなさと、彼女の妹の腹が立つところを重ねて並べて言葉の洪水で押し流されてしまう。
結局、彼女の周囲にあまりにも真剣な連中が集い始めたところで、僕はようやく覚悟を決めた。
ぐずぐずとしていたあちらの両親に畳みかけ、約束通りに彼女をもらい受けた。
彼女は、今日も僕の隣で曖昧に笑う。
本当はどう思っているかもわからないまま。
uodate:04.25.2025/再録:05.29.2025